「半育休」を導入した社長の本音。人が大切だから、環境を整える
育休中も働ける「半育休」を社内で初めて導入した、ヨシケイ信州の百瀬修太郎社長。「型にはめると能力が発揮できない。だったらルールを変えればいい」。人が続けられる会社をつくるために、経営者は何を考えているのかを聞きました。
出産や育児、予期しない体調の変化。人生の節目ごとに、働くことへの向き合い方がゆらぐ瞬間があります。そのたびに、続けることをあきらめてしまう人は少なくありません。
けれど、「ゆらいでいい。戻ってこれる場所へと整える」と、言う会社があります。それが、松本市に拠点を置く食材宅配サービスの会社、ヨシケイ信州。その代表・百瀬修太郎社長へのインタビューから、ひとつの問いが浮かび上がってきました。“人を大切にする”とはいったいどういうことなのか、紐解きます。

ヨシケイ信州で広報を担当する八木誌織さんは、もともと管理栄養士の資格を持つ、広報業務の未経験者でした。
求人サービスのスカウト機能も活用しながら複数応募してきた中で、八木さんだけが唯一の広報未経験者。それでも百瀬社長が八木さんを選んだのには、理由がありました。
「経験があると、いろんなことをやってくれるので良いなとは思ったんです。最後に2人に絞った中で、もう一人は広報経験者でした。でも、広報という役割は、僕らもイチから始める取り組み。だからこそ、まっさらな状態から一緒にやっていったほうが、うちの会社のことをよくわかってもらえて、固定概念なくやっていけるのかなと思ったんです」
食への関心が深く、発信の仕事に意欲を持っていた八木さん。その思いと、会社が「これから広報という新しい機能を育てていく」タイミングが重なったことで、採用に至りました。
未経験のプレッシャーがあるからこそ、社長の覚悟

入社後、八木さんには相当なプレッシャーがあったと聞きます。初めての広報という仕事上、社内に相談相手が少なく、人間関係にも気を配る必要がありました。
そうした環境の中で、八木さんは「すぐに社長に声をかけて相談していい空気に救われた」と当時を振り返っています。では、社長はどんな気持ちだったのでしょうか。
「それはもう、全力でサポートするしかないと思っていましたね。まあ、覚悟がないとやっぱ採用できないんで。一緒にヨシケイ信州の広報を育てていくという思いで採用したんだったら、全力でするしかないですから。それに、サポートしたのは僕だけじゃない。僕よりも、一緒に働いているスタッフの方が彼女を支えていたと思います」
そう採用当時の覚悟を振り返りながら、社長はこう続けます。
「でも、僕らもサポートしましたけど、結局は八木が一番頑張ったんじゃないかなとは思います。じゃないと続かないですよ」
支える側の覚悟と、支えられながらも自分自身の力で立っていった八木さんの意志。その両方があってこそ、この関係が成立しているのだと伝わってきます。

40年のベテランが作る「相談しやすい空気」
ヨシケイ信州の職場の雰囲気を語るとき、百瀬社長がその名前を何度か口にした人物がいます。
それが、創業当時から働く清川さんです。勤続年数は40年を超え、会社で最も長く在籍している従業員。営業の第一線を離れた今は、バックグラウンドの仕事を担い、会社の風土を内側から支えています。
「彼女は優しすぎるんです(笑)。でもそのおかげでみんなが話しかけやすい、相談しやすいっていう人物。そして、誰よりもヨシケイ信州という会社を理解していると思います」
清川さんが作ってきた「話しかけやすい空気」が、八木さんをはじめとする従業員たちの心理的な安全を支えていたのかもしれません。事実、八木さんも「こんなにあたたかい会社があるんだと驚いた」と話すほど、働く人たちがまとう空気は柔らかい。会社の「風土」とは、経営者一人が作るものではなく、長い時間をかけて積み上げられた関係の総体なのだと感じます。
「右脳」である存在として
百瀬社長は、八木さんをどのような存在として見ているか聞いてみると、「右脳」という答えが返ってきました。
「よく社長の右腕って言うじゃないですか。僕は、腕というよりも、脳といった方がしっくりきますね。実際に、八木は会社のことを理解してくれているし、これからもっと『ヨシケイ信州だったらこうする』と一緒に創造していける立場になってほしいと思っています」
そしてもう一人、経理などを担当する従業員・上坂さんを「左脳」と表現。上坂さんもまた、もともと経理の専門家ではなかったものの、自分で勉強して業務を習得した人物だといいます。「彼女は、『自分でできてしまって』というんですよね」という表現に、その努力の姿が透けて見えます。今年に入って、引っ越しに伴いリモート勤務へとシフトしました。
「僕が動けなくなって何も考えなくなっても、会社は回っていくようになればいいなっていうものがあって。今、僕がいなくなっても、右脳と左脳がちゃんといてくれています」
少し冗談混じりの表現でありながらも、そこには真剣な思いが込められています。自分が不在になっても動き続けられる組織を作ること。そのために必要な人と役割を見極め、信頼を預けていくこと。これは、百瀬社長自身も試行錯誤しながらたどり着いたものでした。

女性の働き方と、「型にはめることのもったいなさ」
ヨシケイ信州はスタッフ全体の多くが女性です。百瀬社長が二代目として入社した当時、それは戸惑いでもあったといいます。
「何となく、自分はできると思っていたんですよね。でも、それは違いました(笑)。ぽっと出の僕が何か言っても、最初は動いてもらうことはできませんでした」
そう当時を振り返りながらも、今では、女性が多い職場だったことを「すごく良かった」と話します。
子どもを育てながら働く女性、介護と仕事を両立する人、突然のライフイベントで働き方を変えざるを得なくなる人。そうした現実の中で、型にはめることで能力が発揮できなくなることへの「もったいなさ」を、社長は繰り返し口にします。
「型にはめられたときに、結局能力発揮できなくて終わるじゃないですか。だったらね、ルールを変えちゃえばいいんです。僕は、会社のルールを変える側にいるんで、それをやるだけです」
半育休という提案

「会社のルールは自分が変えられる」。その言葉を裏付けるのが、八木さんが活用した「半育休」の制度です。
半育休とは、育児休業給付金を受け取りながら、定められた就業日数・時間の範囲内で働くことができる制度。育休中でも、一定の業務を継続できると、新聞の記事で知った百瀬社長。八木さんが第一子を妊娠した際、「こんな制度も使えるから、考えてみて」と提案します。
提案の動機は、会社側の切実な思いから来ていました。
「今でも、八木がいないとちょっと僕自身はバタバタするんで(笑)。もし半育休として仕事をしてくれたら助かるなとは思っていました。半育休って、その人しかできない仕事だからこその制度なんで。八木は、会社にとってそんな存在で、それは本人が頑張った成果。でも、彼女にとっては第一子だから、産後にどんな生活になるかは想像しきれないとは思っていて。出産してちょっと落ち着いてきたとき、もし働きたいと思ったら、すぐに導入しようと思ったんです」
半育休は、会社が一方的に求めるのではなく、本人の意思と能力があってこそ成立するもの。実際、生後半年を過ぎた頃、八木さんから半育休の希望があり、急ピッチで制度を整えました。
八木さんにとって、育児しながら仕事に関わり続けることは簡単ではありませんでした。集中できるのは子どもが寝ている間。はいはいをして動き出すようになると目が離せなくなり、思うようにならない時間も増えたといいます。社長もそうした状況をよく把握していました。
それでも、半育休という選択肢が「キャリアの断絶」を防ぎ、八木さんが「置いてきぼりにならない」感覚を持ち続けられたことは、大きな意味を持っています。
「黙ってやった」という誠実さ
半育休の導入が社内でどう受け止められたか、という問いに対して、百瀬社長は正直に答えてくれました。
「多少、ざわざわしたっていうのは聞いてます。社内で取得したのは八木が初めてですし、どんな制度なのかもほとんどがわかっていなかった。それに、半育休は誰でもが取れるものでもない。八木にしか頼めない仕事だから、僕も提案したんで」
雇用はそれぞれ個別の契約であり、全員に対して説明する必要はない。一方で、「中小の強みとして、僕判断でパンとできてしまう」ことも認識しています。
ただ、社長が強調するのはここです。
「八木がいてくれなきゃ困るよねという周りの認識は、八木自身が作ってきたものなので。もし半育休に対してなんか言われても、『え、じゃあみんなができるの?』って聞くだけです。八木じゃなきゃできないを作ってきたのは本人の努力だし、それは社員がみんなわかっていることですね」
一見、特別扱いに見えうるものが、実は本人の努力によって必然性を持っていたということ。「八木が一生懸命やったからだと思います、最終的には」という言葉に、静かな確信が宿っています。
ずっとここに置いておくつもりはない
百瀬社長のお話を聞くと、社員が安心して長く働ける仕組みに注力していると、自然と理解できます。では、社員が長く続けられる会社とはどういう会社なのか。その問いに対して、百瀬社長は意外な言葉を返しました。
「僕は逆で、会社を育っていってもらってもいいと思っているんです。その人しかできない仕事だから、僕らは当然引き止めます。でもその人が、うちの会社で経験できたことや学んだことを、今度ほかでキャリアアップしていく。会社と従業員、ここは対等じゃなきゃいけないなって思っていますね」
もしも個人の能力が今の箱では収まりきらなくなったとき、独立や外部委託という選択肢もあり得ると語ります。人を引き止めたいなら、雇用側が環境を変えるしかない。それが百瀬社長の基本的なスタンスです。
「優秀な人材を引き止めるには、ある一定条件の中で、何か変えられるものがあれば、変えてくしかないので」
コーチとして培った「入らない」という覚悟
百瀬社長がもともとプロサッカーチームの指導者をしていたという話は、経営の姿勢を理解するうえで興味深い背景です。

「グラウンドの中で戦えるのは、選手だけなんです。コーチは中に入って『こうで、ああで』って、手取り足取り教えることはできないから、外からずっと見ているしかない。すると、もう選手たちに任せるしかないんですよね」
試合でコーチができることは、外から見守ること。選手自身が判断し、動く。そのための準備が練習であり、会社で言えば社員教育に当たります。
「会社になると、従業員研修とか社員教育をしながら、実際に現場に出たときは信頼して任せる。何ができていたかっていう部分は、実績でチェックをするしかないですね」
あえて中に入らないこと。それが相手への信頼であり、育つ余白を作るということなのかもしれません。
「うちは50人の規模の会社なので、話すことはできるんです。どうしてこうなるのか、どうしていけばいいのか。そうやって直接話すことで、もっとこうしていけばいいとわかる。この規模だからこそ、できることですね」
気づきを「言語化」する試み

ヨシケイ信州では数年前、クレド(行動指針)を従業員たち自身の手で、1年かけて作りました。百瀬社長は一切タッチせず、従業員たちが自分たちの言葉でまとめたものです。
それに加えて最近では、毎月1回、従業員同士がお互いの「良い行動」をクレドの項目と結びつけて伝え合う取り組みも始まりました。それは、「自分にはない良さを気づけるようになってほしい」という思いから始まった仕組み。
目標として掲げるだけでは意識に残りにくいクレド。けれど、同僚の日常のふるまいの中にクレドが宿っていると気づいたとき、それは「たどるべき理想」ではなく「すでに自分たちの中にあるもの」へと変わります。

また、会社のパーパスを見直すプロジェクトには、八木さんが半年間伴走。外に向けて会社の言葉を発する立場だからこそ、会社の思想の核心を誰よりも深く知っておく必要があるという、百瀬社長の判断です。
結果的に、パーパスができあがる流れを全部知っている八木さんだからこそ、月1回の社内報告会でもそのキーワードが言葉として自然に出てくるようになったといいます。
「クレドもパーパスも、作って終わりではなく自分たちのものにできるかどうかが肝心だと思っています。まだ始まったばかりですが、気づきが増えているという実感はありますね」
揺らぎながら進んでいる、その途中に
百瀬社長は、自分を「できる人間」とは決して語りません。
「どうしても誰かに助けてもらわなければ、仕事回らないし、僕よりも能力高い人なんていくらでもやっぱいるわけで。僕はたまたま親が社長やってて、ぽっと入ってやってきてるだけなんで(笑)」
親の入院をきっかけに後継ぎとして入り、食への関心があったわけでもなかった。それでも10年をかけて、会社の「人」に向き合い続けてきました。
今、ヨシケイ信州では月1回の「つなぐミーティング」が始まったばかりです。全従業員をオンラインでつないで発表の場を設け、自分の言葉で話すことを訓練として続けています。
「自分の言葉で伝えるって、練習をしないとなかなか難しいじゃないですか。だからそんな機会になればいいなって。不意に『ヨシケイ信州さんのビジョンってなんですか』って聞かれたとき、スタッフみんなが答えられたらすごいなって思いませんか? それをみんなできたら、もっともっとこの会社って良くなるんじゃないかな」

第二子の育休に入った八木さんには、復帰後は実務の第一線より少し引いた立場で「間に入る役割」を担ってもらいたいと考えているといいます。外注先との窓口や全体のコントロール。いわば、より広い視野でものを見る位置へのキャリアの移行です。
「でも、まずは出産を無事終えることが大事ですから。彼女が落ち着いてから、本人がやってみたいと思ってからの話ですけどね」
急がなくていい、ゆらいでいい。ただ、ここには戻れる場所がある。
百瀬社長の言葉は、完結した成功談ではなく、いまも続いている試行錯誤の歩みでした。だからこそ、この会社のこれからに惹かれます。
自分に合う働き方をまだ探している人にとって、その歩みはひとつの希望になるはずです。
この記事は、ヨシケイ信州さまのご協力のもと制作しました。取材内容・構成はLoPa+編集部が独自に行っています。
ヨシケイ信州
撮影・清水美由紀(@uriphoto)
取材、文・ロパス編集部